木原万莉子が難病だった…病気になっても復活したエピソードが凄い

フィギュアスケート女子木原万莉子選手が今年のNHK杯に出場することが決まっており、

個人的に注目しています。顔も可愛くて演技が上手い、そんな木原万莉子選手ですが、

調べてみるとなんと過去に難病になっていたようなんです。

それも深刻な病気だったとか…

今回は女子フィギュア期待の

木原万莉子の難病だった病気のエピソードについて取り上げていきます。

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木原万莉子(きはらまりこ)のプロフィール!

生年月日: 1997年9月4日

年齢:18歳

出身: 滋賀県大津市

身長: 156 cm

体重:42kg

コーチ: 濱田美栄・田村岳斗

振付師: トム・ディクソン

ジェフリー・バトル

元振付師: カタリナ・リンデン

所属クラブ: 京都醍醐FSC

フィギュアスケート歴は7歳から。多くのフィギュアスケート選手が小さい頃から始めるように、木原選手も小さい頃からのようです。荒川静香選手のプリンスアイスワールドをみて、スケートが好きになり、スケートの練習を積みます。

小学6年生になると、なんと大技「3回転」を覚え、5種類も跳べるようになります。オリンピック選手が試合で使う3回転を小学生で習得は…素晴らしい才能ですね。宮原知子と同じクラブに所属しており、2人は大の仲良し。同じはまだコーチの元で指導を受け、木原万莉子は成長していきました。

しかし中1の夏でとある病気にかかり(下記で述べます)、2年間スケートはやめることに。

そんな木原万莉子は基礎からスケートをやりこなし、2年間その病気と戦い続け、2012年シーズンから復帰した木原万莉子は、全日本ジュニアで見事10位に。見事復活を成し遂げました。

今は同志社高等学校の3年生で、来年は卒業、進路先が気になりますが、同志社高校なので同志社大学へと進学するのではないかと言われています。

同志社大学にはフィギュアスケート部があり、磯崎大介など有名選手もいる為、環境としては充分でしょう。


木原万莉子の難病とは!?

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中学一年の夏、順風満帆だった木原万莉子のスケート人生は、暗転してしまいます。。

「歩けなくなるよと言われた時は、本当に怖くなかった」

こう話していた木原万莉子。予期せぬ病に侵されました。それは三万人に一人の難病。

大腿骨頭すべり症

左の股関節に激痛が走り、歩くことさえ出来なくなったそうです。

娘の思わぬ病に母・由佳さんは

「毎日泣いてました。本人は泣きもせず、愚痴も言わずでしたが、もしかしたら本人がこのままスケートをしないのかなと思った」

と言っていました。

いつしか木原万莉子本人もスケートに触れず、スケーも見ず、家族もスケートに触れずにそっとしておきました。それでも本人は、心の中で

もう一度スケートをしたい

という気持ちがありました。そんな彼女は挫けそうな時

挫折した人間にしかトップに行くことは出来ない

という言葉を言いきかせ、どん底から這い上がりました。

いやぁ~これは凄いですね。だってこの時中学生ですよ。中学生でこんなに精神がつよい子っているんでしょうか。少なくとも私はそんな強くありませんでした。

二度の手術を受けた木原万莉子。病気の影響で、左右の足の長さが変わってしまったのです。

1,5cmほど違うそうで、もちろんスケートにも影響します。

コーチの濱田コーチは、

「足の長さが違うので、痛みとか歪は出る。しかしそういった逆境には木原万莉子は強い」

と話しています。

逆境に強いタイプなんですね。

この病気のエピソードは是非スポーツで怪我をしている選手や、辞めそうで辛い選手に聞かせたいです。私もスポーツで怪我をした経験が有り、怪我を機に一度スポーツを辞めたことがありました。でも木原万莉子さんはとてつもない難病なのに復活。これは見習わないとなと思いました。


Hikaruの一言

私はスポーツ選手で女子高生でこれほど精神力の強い選手は他に見たことがないです。後遺症もあって大変だと思いますが木原万莉子はまだ18歳。フィギュア女子選手として将来性がとても期待されます。今後も応援したいです。
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